この自我の行く末

人生に行き詰まって落ち込んでいる時に、あの曲を何度も聞いて励まされて、もう一度頑張ってみようという気持ちになったんです、というようなことを聞くことがありますね。

あるいは、誰かの不屈の物語を聞いて感銘を受けて、自分もまた明日から頑張ろうという気になった、そんな話しもよく聞きます。

多くの人にとっては、そういった経験というのはごく普通にあるのかもしれませんが、私はいつもそれを聞くたびに違和感しかなかったのです。

明日からまた頑張ろう、が皆無なのです。どの記憶を辿ってもそんなことを思ったことが一度もないのがはっきりしているのです。

だから生きづらさのようなものをいつも抱えていたんだなと、最近分かるようになりました。

たとえば、たとえ頑張っている状態になったとしても、それは成り行きでしかなくて、自分が決意してそうしているのではないのです。

このような人生を続けてきてどうなったかというと、「つまらない」という思いだけが残ったように思います。

年齢を重ねてきたおかげで、それもさらに加速してきていて、何を手に入れても満たされない、つまらないからは逃れられないという感覚。

益々内側にいる自我は、困っているのです。何か楽しいことはないかなあ?という子供のようなため息をついたりしています。

人生は壮大な実験だという観点からして、今後この自我はどうなっていくのかということを、折に触れて皆さんにお伝えしていこうと思っています。