落ち着くことのない心

子供の頃、通信簿(今の通知表)の通信欄に、「落ち着きのない子」と書かれていたという話しを時々聞くことがあります。

私自身はそういうことはなかったのですが、でも間違いなく子供の頃というのは大人のようには落ち着いてはいなかったはずですね。

子供は、長い間じっとしていることが苦手なのです。それが徐々に、学校の授業などで鍛えられていくうちに、気づくと1時間くらいは何かに集中することができるようになるものです。

けれども、たとえ大人になったとしても、姿形、立ち振る舞いは落ち着いているようにすることはできても、実際心の中はというと、どうだか怪しくなります。

実は人間というのは、元々が落ち着くということが苦手な存在だと思うのです。心がざわつくことが多ければ、落ち着きたいなと思うものです。

しかし、いつどんなときにも落ち着いていられる人など、一般的にはいないはずです。よほど、深い瞑想状態にでもならない限りは、常に精神活動をし続けています。

「落ち着く」という日本語は、すばらしいですね。落ちて着くのですから。永続的に精神が落ち着くことができるなら、それはもう覚醒しているということでしょう。

徹底的に落ち着いてしまったら、それは心は生き長らえないで消滅してしまうはずです。だから、自己の存続をかけて落ち着かないように心はするのです。

この落ち着かないというのは、スケールを広げて考えてみると、宇宙のシステムそのものなのかもしれないとも感じてきます。

宇宙は広大で深淵なものと考えることもできますが、ビッグバンが発生して以来、その爆発は今も継続していて、決して宇宙は静寂などではありません。

星雲も太陽系も地球も、あらゆる星々は人と同じように生まれては消えていくということを繰り返しているのですから。

宇宙のどこを見ても、落ち着いているところなどないということです。宇宙の本質は活動なのでしょうね。だから、我々が真に落ち着けないのも当然なのだと思うのです。

その宇宙のシステムに逆らって、徹底的に落ち着こうとすることこそが、この宇宙を越えたところの自分の本質に出会うことへと繋がるのかもしれません。