自由意志がないことの検証

昨日のブログに引き続き、自由意志を持っているということが間違いであるということを、どう暴いていけるのかということについて、書いてみようと思います。

私たちは単純に、右手を上げようと思えば、すぐに右手を上げることができます。そして、右手を上げようと思わなければ、右手が上がることはまずありませんね。

だから、当然のごとく、右手を上げることに関しては、自分の自由意志が作用しているとしか、考えられないわけです。

このことは、右手を上げるという単純な動作ばかりではなくて、あらゆる行為に対しても同様であるに違いないと思っているのです。

つまり、ある行為を行っているそのときに、つまりリアルタイムでは、自分の自由意志に基づいてその行為を行っていると断固として思えるのです。

これをいきなり崩していくことは、なかなか難しいと思うので、過去においてすでに自分がした行為について、それが本当に自分の自由意志に基づくものであったのかを、検証してみればいいのです。

たとえば、私のところにセッションの目的でいらっしゃる架空のクライアントさんの例で考えてみたいと思います。

彼は、ある日、ふと個人セッションのことを思い出します。

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それに関連して、いくつかのことが思考として発生します。

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しばらく思考した後、予約の電話をしようと決意します。

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電話で私と日にちと時間について会話をします。

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予約の当日になるまで、時々予約のことについて思い出します。

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予約当日には、約束の時間に間に合うように、家を出ます。

と、こんな感じでセッションにいらっしゃると想定できますね。ここで、最初のふと思い出すという部分に、自由意志が入らないことは明白です。

また、セッションのことを思い出したことに付随して、いくつかの思考が起きることも、自動的に行われるのです。

結局、自由意志を使ったと思える部分は、電話をしようと決意したことだと分かります。しかし、よく考えてみると、その決意は勝手にやってきた思考によって為されるのです。

思考とは、過去のデータの蓄積と現在の様々な条件などによって、結果を作り出すものです。それは例えて言えば、コンピュータに何かが入力されて、コンピュータがプログラム通りに作動して所定の出力をするようなものです。

こうして見てみると、自由意志が介在しているように思い込んでいただけで、実はただの流れが起きていたということが分かります。

では、一番初めの、ふとセッションのことを思い出すというのは、一体どこからそのことを起こす指令が来ているのでしょうか?

それこそが、この宇宙のシナリオなのだと言えるのではないかと思います。