私たちは、誰もが幼い頃に、親や周りの大人たちから、自分とは名前がついている誰かであるということを教え込まれてしまいます。
最初のうちはぼんやりとした自覚しかなかったものが、その誰かということが次第に明確になっていくのです。
ゲームのようにして、それを楽しんでいられるうちはよかったのですが、徐々にその誰かとして自分を染めていかざるを得なくなってしまうのです。
気がついたときには、もう自分は小さくて無能なつまらない奴なんだという自覚を持つようになってしまいます。
そのときには、もう時すでに遅しで、元の誰でもない存在に戻ることができなくなってしまうのです。私自身の記憶では、独りで遊んでいるときに、突然誰でもない本当の自分に戻ることもありました。
でも、親などの姿を見つけた途端に、あっという間にその誰か(ある役柄を与えられた子供としての存在)に戻ってしまいました。
その二つの意識には、言葉では言い尽くせないほどの雲泥の差があったと思います。一方は、天国のような陽気な気分であり、もう一方は窮屈でつまらない感覚でした。
意識が入れ替わるときのショックはひどいものです。なんとも自由で開放された心から、一気に縛り付けられたような狭苦しい気持ちになるのですから。
私の記憶では、小学校に入るころまでには、そうした意識の入れ替えもほとんどなくなってしまったようです。
もうそのころには、今と同じ名前のついた一人の人物として、与えられた役柄を一生懸命演じる毎日になっていたのだと思います。
こうして考えてみると、何だか切なくなってきますね。でもこれが本当のことなのです。この年齢になって、ようやくこのことをはっきり自覚できるようになったのです。
残された人生では、是非ともあの清々しい何とも言えない開放的で自由な自分、誰でもない自分に戻ることができたらいいなと思うのです。
それも、ただ戻るのではなくて、自分の本質に気づいたうえでのあの無邪気さに戻るのですから、それがまさに覚醒なのですね。