昨日の瞑想会で、みなさんと一緒に瞑想していたときに、子供のときの感覚というか時々感じていたものを思い出しました。
それは、「そもそも、これはなんなの?」というものです。これは、実はあまりいい気持ちのものではないのですが、そのときに感じていたものを結構明確に思い出したのです。
そもそも、何でこの世界はあるの?というような意味のことなのですが、その背後にある気持ちというのは、避けられないところに来ちゃったという感じです。
この世界が楽しくて仕方ないというのとは正反対に、毎日が何の理由もないのにいやで仕方ないというのが根底にあったのだと思います。
喜びに溢れて生活している人は、こんなことを考えることはまずないわけです。ただし、だからといって、毎日が○○な理由で辛いという具体的なものは何もなかったはずなのです。
だから余計に、自分のその沈鬱さが不思議だったのだろうと思います。一体全体、そもそもなぜこの宇宙があって、自分はここで何をしているのだろうか?
その思いは、断続的に繰り返してやってきました。そして、その度にこの世界はまやかしだという感覚になっていたのです。
けれども、そもそもこれはなんなの?と思っている自分とは、そもそも何者なの?ということは、あまり考えてはいなかったと記憶しています。
あれから、長い長い時間が経ち、ようやく今ではあの時に世界や宇宙に対してまやかしだと感じていた、その自分こそが一番のまやかしだったと気づくことができました。
何かを幻想だと言う前に、それを言う己こそが最大の幻想だと言うことにたどり着いたということです。
今なら、「そもそもこれはなんなの?」の「これ」とは、「今」のことだということが分かります。瞑想中であろうと、普段の生活の中でも今に意識を向け続けたことで、子供の頃の感覚が蘇ってきたのだろうと思います。
そうした細かなことを除くと、自分は小学生の頃から何も変わってないんだなということがはっきり分かって、思わず笑えて来ます。