昨日のブログの内容について、少し補足しようと思います。
以前、私がコンピューターがどれほど進化しても、決して人間のような知性を持つようになることはないと断言していた本当の理由は、ただ人間はコンピューターとは違うと思いたかったからだと分かります。
自分という存在が、いくら高度な処理能力を持つようになったとしても、所詮は演算しかできない「でくの坊」であるコンピュータと一緒にされては困ると感じていたのです。
人間の持つ知性、特に自由意志というものをコンピューターが獲得するようになるとは、どうしても思えなかったのです。そしてそれは今でも変わりません。
今、私がもしかしたらコンピューターは人間のようになることが可能かもしれないと思うようになってしまった本当の理由は、コンピューターに対する考え方が変わったからではありません。
そうではなくて、私たち人間に対する見方が根幹から変わってしまったからなのです。将来コンピューターがどんな進化を遂げようと、それとは無関係に人間こそコンピューターそのものだということに気づいたのです。
これもきっと、冗談言うなという反論をされるかもしれません。コンピューターの定義というのは、何らかの入力を受け取って、プログラミング通りにそれを処理して、その結果を出力するもの、と言うことができます。
その定義からすると、私たち人間は何の入力がなくても、自由意志によって独自の出力を作り出すことができると思われているので、確かにコンピューターではないという結論になります。
けれども、本当に何の入力も与えられていないと本当に言い切れるのか、というところに大切な要点があるのです。
私が今感じているのは、あらゆる入力が源泉からやってくるということ。その入力とは、知覚を通して外界から入ってくる情報かもしれないし、思考かもしれません。思考の中には、決意も含まれます。
私たちは、生まれながらに与えられたDNAと体験によって蓄積されたプログラミングによって、正確に処理を行い、結果を出力しているのです。
それはただそのように起きているのです。そこには、「私」という特別な存在がいるわけではありません。「私」という思考も源泉から与えられたものだということです。
ここまできて初めて、コンピューターの行く末がどうなろうと、そこへのこだわりが全くなくなってしまい、こうに違いないという想いがなくなってしまったということです。
でもはっきり言えることは、コンピューターが自由意志を持つことはないということです。そしてそれは、人間である私たちにも同様に言えることなのです。
この文章を数年前の自分が読んだら、猛反発することは間違いないと思います。そういう意味では、人は変わるものなのですね。