あらかじめ真実を知ることはできない

科学者、特に物理学者というのは、この宇宙の根底には単純な法則があるはずだという信念に突き動かされて、それを何とか証明しようと躍起になっている人たちです。

そのレベルでは、人類は今までにもすばらしい業績をあげてきました。アインシュタインが発見した、E=mc2 というあまりにもシンプルで美しい公式がその筆頭かもしれません。

けれども、真理というのはそうした宇宙法則を遥かに超えています。それは、こういうものだという具合に、表現することさえできません。

私たちの本音とは、宇宙法則のように、これが正真正銘の真実だというものがあって欲しいと願っているのです。

それは、理性によって理解したいという本能的な欲求があるからです。ところが、残念なことに真理はこうした理性を超越しているので、把握する対象とはなりえないのです。

真理は我々の思考の外側にあるので、決して言葉や空想する力を使って近づこうとしてもどだい無理なのです。

それなら、真理とは一体どこにあるのか、それはこの宇宙のすべてを現象化している源であるし、それこそが真の私たちの姿なのでしょう。

それは決まったものではありません。だから、私たちから見ると、一瞬一瞬変わるもののように思えるかもしれません。

例えば、自分は瞑想をしたほうがいいと感じるときがあります。そのときには瞑想すべきです。場合によっては、努力が必要になるかもしれません。

けれども、瞑想が必要ないと感じることもあります。すべては神の恩寵によってシナリオ通りに推移しているということがクローズアップされるとき、努力よりも耳を澄ますことが適しています。

こうしたことは、あらかじめ答えが与えられるものではないのです。その瞬間瞬間にこそ、適切な答えが導かれるということです。

真理とはそういうものです。それは、自分に徹底的に正直に、そして誠実になるその瞬間にのみ、やってくるものだと言えます。