スケールの違いに着目する

俳優の竹中直人さんの昔懐かしい芸に、「笑いながら怒る」というのがありましたが、ご存じの方もいらっしゃるはずです。顔はニコニコ微笑んでいるのに、言葉では強い口調でふざけんなよ~的なことを言う、あれです。

大好きな芸なのですが、こうしたことは自然界ではきっとありえないことですね。このような真逆のことが同時に起こることは一般的には不可能なことです。

右折すると同時に左折するとか、登りながら降りる、あるいは三角形を描きながら円を描くなど…。ところが、この矛盾はスケールを変えることで簡単に実現できます。

例えば、小さな三角形を描きながら、しかもそれらを大きな円の弧になるように描いていけばいいわけです。つまり、三角形と円のスケールが違うことで、矛盾しなくなるわけです。

バスが右折するときに、そのバスに乗っている子供がおもちゃのミニカーを膝の上で左折させることは何の問題もなくできますね。スケールが違うからです。

それと同じことが私の中で起きています。勿論、あなたの中でも同じです。自分がただ在るという純粋な意識は、大きさという概念を超越した無限大であるのに、同時にちっぽけな個人でもあるということです。

個人として人生を生きていると同時に、ある意味神でもあるということ。これほどの矛盾はないはずなのですが、人がどう言おうが、私の中では全く問題なくその二つが同居しているのです。

そのことを言葉で説明するのに一体どうすればいいんだろうと考えていたのですが、気づいたのです。スケールが違うということなのですね。

意識は全体性なので、スケールの違いを越えてしまっていますが、その辺は大目に見て下さい。あなたが、自分の意識にただ注意を向けるとき、あなたに大きさはありません。

けれども、自分を肉体と同一視すれば、たちまちあなたは一人の人物へと縮小するでしょう。この二つを同時に生きるのです。どこにも矛盾はありませんよ。