ただ在るということへの感謝

昔からよく言われることに、病気になって初めて分かる健康のありがたさ、というのがありますね。何にせよ、ごく普通になってしまっていることは、それを無くしたときに初めてその大切さに気づくということです。

勿論、賢明な方であれば、奪われることなしに大事なものへの感謝を忘れずにいられるのでしょうけれど、私のような凡人にはなかなか難しいことなのです。

だから、お腹の具合が悪くなってお酒も飲めなくなったときに、初めて健康でいて食べ物が美味しいということの幸せに気づいたりしているのです。

大好きな食べ物をお腹いっぱい満足するまで食べられたらいいのに、食べ過ぎは健康に悪い。あるいは高額でなかなか食べられないようなものを毎日食べたいけど、経済的に無理。

こう思っている自分は、惨めだなあと思ったりするかもしれませんが、本当は不健康になると何かを食べたいという欲望すら消え失せてしまうのですから、食べたいという気持ちがあることだけでも感謝なのです。

大切なクルマに傷をつけてしまった直後は、無傷でピカピカなクルマをさっきまで何気なく運転していた自分を羨ましく思えたりもするのです。

このように、凡人とはなかなかどうして愚かなものですね。都合の悪いことや困ったことが起きて、初めて感謝の念を感じることができるのですから。

どうせなら、いついかなるときでも、何はなくても感謝していられるようになりたいものです。それには、一つだけ方法があります。それは、自分の純粋な意識に意識を向けることです。

そうすると、まったく何の理由もないはずなのに、ただただ表現できない安堵や感謝のようなものに包まれることになるのです。

それは決して感動や興奮のようなものではないのですが、冷静で静寂でありながら何とも奥深い完璧な悦びと一つになることへの感謝がやってきます。

私たちの本質は、何かを奪われることも失うこともありません。ただ在るということ以上の感謝はないのですね。