準備して待つこと

何であれ物事を深く見ることのできる人は、自分が何かを成し遂げたという感覚を持っていないものです。なぜなら、意思の力で成し遂げられるものなど、一つもないからです。

私たちが生まれてから死ぬまでずっと呼吸し続けているのは、決して意思の力ではないのです。どれほど努力しようと、自分の力で眠りに入ることも不可能なこと。

自分の力、意思の力ではどんなこともなし得ないということです。どれほど頑張ったところで、希望が叶う保証などできないことを見れば、結果は単にやってくるものだと悟るのです。

幼い頃に、一生懸命頑張って鉄棒の逆上がりを練習したとしても、それができるようになるかどうかは分からないのです。けれども、練習した結果、できるようになったと私たちはみなすのです。

もちろん、練習しなければいつまでたっても逆上がりはできないままであることも明白ですが、だからといって練習した結果としてできるようになるのではないということ。そんな保証はどこにもありません。

ここは深く理解する必要があるのですが、私たちにできることは練習すること、努力すること、そして結果がでるのを待つことなのです。努力と結果には実は因果関係はないのです。

ではなぜ努力するのかというと、結果がやってくる準備をしなければ、結果がやって来ない可能性が高くなるからです。もしくはやってきたとしても、そのことを取り逃がしてしまうのです。

このことを深く理解することができれば、自分にはどんな手柄を立てることもできないことがはっきりするのです。あとは、準備にのみ勤しめばいいのです。そして待つこと。

この「準備&待つ」こそが私たちにできる唯一のことだし、それに気づけば自然と期待も小さくなっていくのです。