誰でもない自分に気づく

ときとして静かに坐ることがあったら
目を閉じて感じてごらん
自分が誰であり、どこにいるのかを–
深く進んでごらん
すると不安になるかもしれない
なぜなら、深く進めば進むほど
あなたは自分が誰でもなく
ひとつの無であるにすぎないのをより深く感ずるからだ

by osho

その不安は最初のうちだけで、何度も繰り返しているうちには不安よりも至福感の方が馴染んでくるかもしれません。そうなってくると、日頃自分は誰かだと信じて生きていることが滑稽に感じられるのです。

誰かのフリをして、平然とした顔で毎日暮らしているのですから。自分自身が誰かではなくなって、誰でもないただの存在だと気づくと、自分以外の誰かもいないと分かります。

つまり誰もいないのです。誰もいないのですが、全くもって満ち満ちているのです。誰でもない、何でもない、ただ実在が満ちている。平和な世界でも、ユートピアでもありません。

もちろん地獄などでもないし、すべてがただ在るということ。時々でいいので、少しの時間を利用して、こうしたことに意識を向けてみることです。普段は忘れてしまうかもしれませんが、それでも大丈夫。

私たちは修行僧ではないので、人生という物語がメインに据えられている感じは否めませんが、誰でもないに気づいているとき、超一流の修行僧であると言えます。