本当の自由とは?

私たちは、自分のことも他の人のこともみんなそれぞれに自律的な存在だと思い込んでいます。自律した存在だと捉えているということです。でも本当は、単に自律しているように見えるということ。

あたかも誰もが能動的に人生を生きている、他と連携をとりながらも、究極的にはそれぞれが別々の意思を持って、自由に動ける存在なのだというわけです。

誰からの圧力にも屈せずに、独自路線を貫き通せるなら、その人は本当の自由人だと思われるのです。確かに、誰かのいいなりになったり、自己表現もできないなら、それは奴隷のような人生になってしまいます。

そんな理不尽な牢獄にはまり込んでしまった人にとっては、もっと自由に生きていけるなら、夢のようだと思うでしょうね。あなたのエゴを表面に出しても生きていけますよと、伝えたくなります。

そのようにして、不自由の真っ只中からもっと自由で、自律した人生へと変えていくのが一般的にいう癒しなのですね。だから人は癒されていくにつれて、重苦しさが消えて、清々しい気持ちになっていくのです。

それはそれで素晴らしいことなのですが、完全に自律的に生きて、自分は自由だと感じたとしても、どこか真の自由ではないのではないかという、何か歯がゆいような物足りなさを感じることになるのです。

自律によって得られる自由は、まだ本当の自由ではないからです。真の自由とは、自分の中にいる「私」から自由になることだからです。

「私」というエゴから離れることによってしか、真の自由になることはできないということです。だから癒しの先にあるものは、癒しの延長ではなくて、癒す対象から離れることなのです。

それを覚醒と呼んだりするのです。