真理は信じるターゲットになり得ない

偽りの探求者とは、まさに初めから何かを証明しようと懸命になる者のことだ。「私は神を探し求めている」と言う者は、偽りの探求者だ。「神は存在する」というひとつのことを、彼は受け容れた。知りもしないのに?知っているなら、なぜ探すのか?知らないなら、どうやって神を探すことができよう?

by osho

↑このことは何度も繰り返して、自分の胸に問いただす必要があると感じますね。「彼は受け容れた」という表現は、「彼は信じた」と言い直すべきです。

信じるというのは、知らないからこそできることだと見抜くことです。知っていることを信じることはできないのですから。

そして一旦信じてしまうと、それが硬くなっていって信念へと変化していくのです。そうなると、真理からかけ離れて行ってしまうのです。

これはもう自我の罠だと言ってもいいのです。これは信じた内容の如何にかかわらず言えることなのです。

1番注意しなければならないのは、真理に対する概念を生み出してしまうこと。概念は思考なので、信じるターゲットとなるのです。

けれども真理というのは、思考ごときで信じることはできないものです。探求者は、いつかはその探求者が消えていく憂き目に遭うことになるのでしょうね。