身体と離れた存在の質に気づく

身体には健康なときもあれば、病気のときもある。見守ってごらん。ただ見守っていれば、突如として、あなたはまったく違った存在の質を感じ取るだろう。あなたは身体ではない。身体はもちろん病むが、あなたは病んではいない。

by osho

身体が充分に健康なときには、まるで身体がないかのように感じるものですね。身体に意識が向かなくなるからかもしれません。

一方で、身体が不調だったり、痛みや不快感があるときには、そこに注意が向いてしまうのは当然のことです。

そして身体の存在が自分にとって大きなものと感じるようになるのです。けれども、そのときには大きな気づきのチャンスもあると↑上で言っているのです。

つまり具合の悪さと戦うのをやめられたとき、身体の不調をただ見守ることができたとき、全く違った存在の質を感じられるかもしれないということ。

身体からやってくる様々な信号とは離れている存在の質、それこそが本来の自分だという感覚。

自我というのはいつも身体とぺったりくっついて、身体を含めたトータルな自分というものを感じているのです。

けれども、身体との間に距離を感じることができるなら、身体との一体感は薄れていき、決して病むことのない、苦しむことのない存在の質に気づくのです。

身体の不調は本当に嫌なものですが、そんなところにも大切な気づきのチャンスは転がっているということですね。