個人もマインドもそんな実体はない

私たちのマインドとは、個人という塊として存在しているという思考をベースにした、単なる思考群に過ぎません。

個人という実体があるかのように思い込んでいるために、それが原因となって様々な結果がやってくるのです。

それは不安だったり、孤独感だったり、あるいは惨めさだったりするのですが、それはとても都合が悪いものなので、できる限り感じないように工夫するようになるのです。

不安をできるだけ安心に変えようとして、自分と誰かを比較しようとしてみたり、欲しいものを手に入れようと努力するのです。

あるいは、孤独を紛らすために誰かと一緒にいようとするのです。社会で活躍して自分の価値を見出そうとすることで、なんとか惨めではない自分になろうとするのです。

こうした生き方すべての根底にあるのが、個人としての自分があるという間違った思い込みなのです。

その努力は果てしなく、生きている限り続くものです。ここではっきりさせておきましょう。個人は決して本当には満たされることがないということ。

死ぬ前に、私は自分の人生に満足していると言う人もいるでしょうけれど、その裏にはマインドの不満が隠されていて、その思考エネルギーが転生するのです。

個人、あるいはマインドという実体などないと見抜くこと以外に、真に満たされることはないのです。

マインドをよ〜く日々見守ることができるなら、そんなものはそもそもないということに気づくことになるのでしょうね。