無邪気さを捜す必要はない

あなたは自分の中にある無邪気さに気づいていますか?あるいは、その無邪気さをどのくらい日常使って生活しているでしょうか?

無邪気さなんて、もうすっかり遥か昔に忘れてきてしまったと感じている人もいるかもしれませんね。

幼い頃というのは、まだ社会的な存在ではないので生まれたままの無邪気さがそのまま残っているのですが、成長するにつれて少しずつ影をひそめるようになるのです。

特に幼い頃から不安な家庭環境で育ってしまうと、早いうちから無邪気さが隠れてしまい、子供なのにどこか大人びた感じになったりするのです。

そうなると、大人になるにつれて更にその無邪気さは厳重に心の地下室へと閉じ込められて、息苦しい不自由な生き方しかできなくなってしまうのです。

無邪気なままの非社会的な部分をどうやって思い出せばいいのか?どうやってそれを捜せばいいのだろうかと考えることがあるかもしれません。

けれども、無邪気さを捜す必要などないのです。なぜなら、隠しているのは自分自身であるからです。

捜すのではなく、隠すことになった切実な理由を見てあげることですね。そこには、無邪気なままでは生きていけないという子供の頃の激しい恐怖があったのです。

その恐怖と共にいつもいられるようになったなら、無邪気さは自然と戻ってきてくれるはずなのです。