権利はあるが義務はない

現在の日本国憲法には、国民の三大義務というのがありますね。勤労、教育、納税でしたっけ?

国家というのが私たちの生活の基盤であるので、当然そういった義務があるというのは理解できます。

けれども、もう少し深いレベル−つまり存在とか本質的なレベルで見てみると、義務というのは自我が作り出したものだということ。

私自身は、義務とか責任という言葉に対して鋭敏に反応する部分があって、自我の囁きには騙されないぞという気持ちが強いです。

クライアントさんとお話ししていると、なぜか「生きていかなければいけない」と思っているのが伝わってくることがあります。

つまり生き続けることが一種の義務のようになっているのですね。生きる権利はあるけど、生きる義務など全くないと理解できたらいいのにと感じます。

同様にして、死ぬ権利はあるけれど死ぬ義務などないのですが、現在の社会では死ぬ権利を認めてもらっていないのが実情ですね。

どういうわけか社会総出で生きる義務があることにしているのです。本当に不思議なことです。

誰がどのような義務を作り上げたところで、あなたはあなたの本心に従って生きていくことです。それが自然だし、自由であるということですね。