同一視に気づく

今日は同一視について書こうと思います。なぜなら気づかぬうちにやってきた同一視によって、私たちはとても深く自分を傷つけてきたからです。

たとえば、子供の時に食事中に手が滑って味噌汁をこぼしてしまったとしたら、もしかしたら母親からひどく叱られてしまうかもしれません。

その時、子供は叱られるという経験と自分という存在を同一視してしまうのです。母親が叱ったのは、不注意をしてこぼしてしまったことに対してです。

ところが、子供は自分という存在が叱られた、否定されたというように感じてしまうわけです。

これが同一視です。そう考えると、これまでの人生の中で無数にやってきた感じがしてきませんか?

子供の頃に親に愛してはもらえなかったというとても惨めな体験があると、その体験と自分を同一視してしまうのです。

つまり、愛してはもらえなかった自分を否定してしまうのです。子供が愛されないのは、子供のせいでは全くありません。

親のマインドに問題があっただけなのですが、自分の存在とその悲しい出来事を同一視してしまうのですね。

この同一視、子供の時には仕方がなかったとしても、大人になってもそれと気づかずにやり続けていることが多いのです。

自分を否定的に捉えてしまう瞬間があったら、是非この同一視について疑ってみることをお勧めします。

そこに気づくことができれば、無闇に自己否定して自分を無駄に傷つけることを避けることができるようになるからです。