感謝の体験

連休中にあるセミナーに参加したのですが、そこで感謝が胸に溢れるという体験をしました。実はこのセミナーにはちょうど一年前の同じく連休の時に初参加したことがあったのですが、その時にも大きな感謝の念を体感しました。

昨年の感謝の体験は、その感謝のターゲットとなる人々がまるで映画のエンディングロールのように次々と浮かんできて、そのすべての人たちに対してとても深い感謝の気持ちを感じました。

それは初めて深い感謝という感覚を知った自分にとってはとても衝撃的な出来事だったのですが、今年は二度目ということもあって衝撃度はそれほど強いものではなかったのですが、その代わりターゲットが全く浮かんでこないという特徴がありました。

うまく表現できないのですが、ただ感謝の中に入っている体験とでもいうのか、とにかく何の記憶とも結びつくわけでもなく、ただ嬉しいとか、悲しいというのと同じようなレベルでただただ感謝としか言いようのない感覚の中にいました。

4日間に渡るセミナーのあちこちで感謝がやってきたのですが、その時々で感覚の大小はあるのですが、最終日にやってきた感謝の体験はまた今まで経験したものとは違う不思議なものでした。

それは、感謝がやってくる感覚はそれまでと同じだったのですが、それをしばらく感じていると次にはただただ与えたいという衝動のようなものがやってきました。この与えたいという感覚も知らないわけではないのですが、抑えがきかないような強いものでした。

大勢の人達が参加している中で、しばらくその衝動を我慢していたのですが、それもすぐに赦しの作業が自動的にやってきてくれて、あまり明確な意識もないままに勝手に腕を使ってあふれ出るものをその会場全体に向けて放出しました。

それがとっても心地いいのです。もう恥ずかしさとか、そういった類の感覚が小さくなってしまっていて、きっとヘンな声も出ていたのではないかと思います。

感謝は愛の一つの感覚なのでしょうね。その愛が大きくなってくると、愛の元々の特徴である拡張が始まるのだろうと思います。拡張とは、愛そのものが愛を与え続けるという意味であって、それは愛の本質なのです。

愛は与えずにはいられない、まさにそのことを経験することができたのだと思います。