与えることと与えられること

少し前のブログで与えることについてのお話をしたことがありました。心の平安を得て、満ち足りた心になるためには、与えることが大切だということでしたね。

自分自身に対しても、いつも忘れずにこのことを心に刻んで生活しているのですが、ふとしたときに、ああ、与えることを忘れて与えられることを期待している、と思う瞬間があることに気づかされます。

例えば、仲間とお酒を飲む時に、この気持ちのいい仲間の中で自分はとても楽しい時間を過ごせるのですが、気が付くと自分が楽しむことにばかりに気持ちが向いてしまっています。

自分がただ楽しむのは、みんなが作り出してくれたその雰囲気をただ与えてもらっているということですね。勿論それは決して悪いことではありません。自分が楽しむということも、巡り巡って与えることになってることもあるかもしれません。

きっと無意識的にでも自分も何らかのモノをみんなに与えられているのだろうとは思うのですが、与えることを選択することを忘れてしまうことが多いのです。

与えることに慣れていない自分は、すぐに与えてもらえることを期待してしまいます。習慣とは恐ろしいものですね。エゴは習慣を利用して自分を変えないようにするのです。

このエゴの習慣から抜け出すためには、どうしても意識的に選択するということが必要になります。与えるという選択をして、実践するとしても、何も物理的な行為に限ったことではありません。

心の中でも充分に与えることはできます。例えば、自分が楽しい時間を与えられていることを感謝するということだけでも、その感謝を自分の心から相手に贈ればいいのです。

感謝するのは何となく受身のような気もしますが、実は愛を送ることになると思います。充分に深く感謝の念を抱いて、それをエネルギーとして相手に贈るイメージを持つだけでもいいのです。

自分のお金、自分の時間、自分の労力、そういったものを愛で包んで相手に贈るのも与えるという行為になりますね。毎日、自分は一体どのようにしたら、愛を与えることに繋がるのだろうか、考えてみて下さい。

そして、無理のない方法で実践することです。愛を与えることができた場合には、必ず同じだけの愛を与えられるはずです。これが愛の法則ですね。