気づかない症候群 その2

昨日の続きです。

「見るな、危険!」、「考えるな、危険!」、「触るな、危険!」、「聞くな、危険!」などのエゴのレッテルが貼られることによって、我々は幸せになるための大切な事柄に気づかないようにさせられてしまうということをお話ししました。

こうした自分の力ではなかなか気づけなくさせられたものでも、セラピーなどを受けることによって、気づいていくことは可能です。

セラピーを受ける以外にも、適切な本を読んだり、セミナーなどに参加することでも気づきは得られるはずです。

私は「奇跡のコース」という本を繰り返し読んで行くうちに、自分が今まで気づかなかったエゴのレッテルにいくつか気づくことができました。

例えば、愛はすべては一つという想念ですが、その反対に自分は全体から分離した存在でいたいと強く願っているという事実に気づかされました。

しかも、自分とそれ以外の間の距離を保つために、人が罪深くあって欲しいと願っているということも分かりました。これはちょっとした衝撃でした。

罪を発明することによって、人を責めることができ、そのことで自分との隔たりを確保しようとしてきたということです。

え?と思われるかもしれませんが、どんな人でも、他人の中に罪を探したいという思いを持っているのです。でなければ、一体になってしまいます。一体になるということは人間ではいられなくなることを意味します。

気づいたからと言ってすぐにそれを克服したり、手放したりできるわけではありませんが、しかし気づかなければ現状を変える手立てがなくなってしまいます。

そのほかにも、一般的に親を憎んでいる人の心には本当は親を愛しているという部分があるのですが、これもしっかりと「見るな、危険!」のレッテルが貼られています。

自分は大変な被害に遭ったと思っている人に対して、自分は被害者ではない、という思いにはやはり厳重なレッテルが貼られています。

そして、私が「奇跡のコース」によって気づかされた最大のことは、本当の自分の姿は身体ではなく、スピリットだということです。今でもエゴのレッテルは貼りっぱなしになっていますが、それでもそのレッテルを跳ね除けて中身をみようとし続けるでしょうね。

そして、これもしっかりとレッテルが貼られているスピリットとしての記憶を、いつか取り戻したいと思っています。