期待を手放す

どこの親も愛する我が子には、いろいろな期待をするものですね。幸せになって欲しいという当たり前の期待から、立派になって欲しい、豊かになって欲しい、病気や怪我をせずに元気でいて欲しいと思うものです。

それは愛していればこその正当な期待だと言っていいでしょうね。また反対に自分勝手とも思えるような子供への期待もあります。例えば、老後の面倒を見て欲しい、親の望む進路を進んで欲しい、ずっとそばにいて欲しい等々。

期待というのは、勿論自分への期待もあります。もしも、なんらかの病気に罹っているのであれば、その病気が治って欲しいと願うものです。もっとこういう自分、理想とする自分に少しでも近づきたいという期待、ダメなところを直したいという期待もあるでしょう。

考えてみるまでもなく、私たちは日々沢山の期待を自分や周囲にし続けています。それが、人を成長させる元になるとも考えられますね。しかし、その期待があまりにも強過ぎると、人生そのものが愛のない殺伐としたものになってしまう可能性があります。

期待するということは、その期待通りの結果を望んでいる心の状態ですから、望む結果が出た場合にはいいですが、出なかった場合には何らかの不満足感が残ってしまいます。

ということは、単純に考えても、期待している場合と期待していない場合で比べたときに、期待していない方が不満が残る可能性が少なくなるということになります。でもこんな事は誰でも知っていることですね。

それならなぜ我々は期待することをやめられないのでしょうか?期待するということは、今の状態を変えたいという思い、今のままではダメだという気持ちが前提としてあるということです。

現状に完璧に満足している人が何かに期待するでしょうか?そういう人が期待するとしたら、結果がどうであれ、それには無頓着でいられるような期待の仕方をするはずですね。

例えば、人間関係がうまく行かないときに、あの人がもう少しこうなってくれたら、もっとうまく行くはずなのにというような期待をしてしまいます。そして、その期待は大抵裏切られることになって、その結果腹が立ったり攻撃的な気持ちになってしまうこともありますね。

このブログでいつも出てくる投影について思い出して下さい。あの人が自分に対してそういう態度をするのは、全部自分の内面の投影による結果だということでした。だから、あの人がもっと分かってくれたらとか、そういった期待をするということに意味はないということになるのです。

つまり、それにもかかわらず相手に期待してしまうということは、投影の結果だということをいつも忘れてしまっているということになりますね。ですから、常に投影のことを思い出すようにする必要があるということです。そうすることで、無駄な期待をしなくなることができます。

また自分の能力についても、自分はやればもっと出来るはずだという自分への期待をしているために、頑張っても結果が出なかったりすると、自己嫌悪や自己否定になって、自分を責めてしまうということがよくあります。

今の自分を徹底的に受け入れることができたら、自分への期待はしなくなるはずです。実は、私たちは元々ある欠乏感や不満足感を自分のせいにして、その辛さを頑張ってなんとか解消しようとしてしまうのです。

でもそれは絶対に実現しないことなのです。なぜなら、人間として生きている限り、欠乏感や不満足感はなくなりはしないからです。何を達成しても必ずまた出てきます。

自分の心をエゴの部分と愛の部分に分けてみて、その愛の部分では期待をするのかどうか探ってみると、どうやらその部分では期待をしていないということが分かります。

エゴは期待ばかりをしますが、愛は全く期待というものをしないのです。愛が出来るのはただただ与えるということだけだからです。エゴは、与えてもその結果を期待してしまいますが、愛は与えることそのものなので、結果については全く期待することはありません。

愛の部分を選択しつつ生活するように心がけることで、今まで無意識にしていた沢山の期待を手放していくことができます。期待しない人生がどれほど心の平安をもたらしてくれるか、是非実践して身をもって体感して欲しいと思います。