高校一年生の時の現代国語の教科書に、「日常性の欠如」という題名の文章がありました。それは、へびを怖がる人が多いのはその身体に我々人間が日常的に意識している手や足がないからだというものでした。
今から40年も前に読んだ文章のことを覚えているのですから、きっとそれは自分にとって何かひっかかる内容だったのだと思います。
怖れの正体について興味があったのかもしれません。私もへびは怖いです。噛まれたりしないし、危害をこうむることはないと保証されても何となく不気味な感じがします。
しかし、もしも毎日へびを見る機会が与えられたとしたら、今持っている怖さというのはきっと緩むはずです。見た目の怖さという点では間違いなく慣れてくるはずですね。
毎日通い慣れた場所に行くよりも、見知らぬ場所に行かなければならない時の方が緊張しますし、より不安になるかもしれません。
ずっと運転していなかったペーパードライバーの人が急に運転することになったら、初めのうちはやはり怖がるかもしれません。
自分が苦手な事や怖いと思うことを克服していく一つの手としては、それを日常的なことにしてしまうことです。
日常的とは繰り返すことを意味します。何度も繰り返してその経験をさせることにより、怖さというのは小さくなっていくものですね。
繰り返していくうちに、少しずつ怖さが減ってくると、今度はあまり怖くないという経験を繰り返しすることになります。
そうやって、気がつくと自分でもびっくりするほど何でもなくなってくるのです。私はかつてHP上でコラムを書き始めたときに、それを自分で読み返すのがいやでした。
不思議なことですが、みなさんに読んでいただくために書いて自ら公表しているくせに、あらためて読もうとするとへんな冷や汗が出たのです。
きっと自分の書く文章に自信がなかったのでしょうね。でも繰り返し書いては読んでを続けてきたおかげで、今では相当に図太くなったようで読み返してみても何の反応もしなくなりました。
怖さから逃げずに続けてみるということは、自分を鍛えるというより慣らして日常的にすることで怖さをある程度克服するものらしいです。