沢山の本音

セッションでクライアントさんとお話ししていて、よく聞く言葉が「自分の本音が分からなくなってしまっている」というものです。

例えば、自分は○○さんのことを大好きなはずなのに、急に嫌いな気持ちが出てきてしまったりして、このまま結婚してしまっていいものかどうか悩んでいるというような場合があります。

また、ある人に相談してなるほどと納得できたはずなのに、別の人から真逆のことを指摘されたら今度はそれが正しいような気持ちになってしまったというようなこともありますね。

そんな時、自分の本当の本心が知りたいと思ってしまうものです。そういった場合、私がいつも思うのは、一つの心の中に本心、本音は沢山あるということです。

そしてその複数の本音は互いに正反対の主張をし合っている場合だって充分あるのです。というよりも、人の心とは右に行きたいと思えばどこかで左へ行きたいという反対の意見が必ずあると思った方がいいくらいなのです。

本音を一つに絞ること自体が無理なことだと知ることはとても大切なことです。同時にいくつかの異なる本心に気づいている場合もありますし、ある事象が起きた事で隠れていた本音に気がついてしまうということもあります。

実は自覚している気持ちとは真反対の本音を隠し持っているということが沢山あります。それは、人は自分に都合の悪い本音を隠すという習性があるからです。

見たくない、知りたくない、いやな気持ちや本心といったものを隠しておいて、それだけでは飽き足らずにそれとは反対のニセモノの気持ちを作ってそれを信じてしまうのです。

そして、それを自分の本当の気持ち、本音だとして生活することになるのです。何事もなければそれが作り上げられた本音だと気づくことはありません。

しかし、何かきっかけがあると隠した本音が表面に上がってきてそれを自覚した瞬間にびっくりするということになるのです。

少なくとも自覚のできる範囲でも二つ以上の気持ちがあるのでしたら、そのすべてが本音なんだと思ってその一つひとつを解釈せずにじっくり味わってみることです。

偏った見方をせずに公平に感じてみることです。そうすると、一つに絞られるというよりも、一つをしっかりとした気持ちで選択できるようになります。

そしてまた、気持ちが変わってしまうことをそんなにいけないことだと思う必要もないと理解することも大切なことだと思います。