頑張り屋さん

世の中にはどうしてそこまで頑張るの?という人がいますね。何でも全力でぶつかって行くというのは、とてもすばらしい生き方だと感じます。

こういう人はどんな仕事に就いても、また何をしても相当にすばらしい成果を出すことができるでしょうし、みんなから賞賛されることにもなります。

オリンピックで金メダルを獲る人、会社で多くの並外れた貢献をする人、一生懸命相手に尽くす人、環境は違えどそういった人たちは大抵充実した人生を送っているように思われます。

しかし、頑張ることで自分が本当に情熱をかけてその過程を心のどこかで楽しんでいるというような能動的な場合はいいのですが、頑張らざるを得ないという心の状態の場合には問題があります。

端から見ているとその違いをあまりはっきりと判別することはできないかもしれません。なぜなら、それは目には見えない本人の意識の問題だからです。

もしも、頑張る目的が、何かそれによって困っていることが解決するかもしれないというような場合には、その作業を本当には楽しむことはできません。

親を喜ばせるため、人に褒めてもらうため、認めてもらうため、お金を儲けるため、寂しさを紛らわすため、こういった受動的な目的のために頑張るのでしたら必ず自己犠牲を伴ってしまいます。

つまり頑張らなければ先行き真っ暗なことになってしまうと感じる場合には、本人が気づいていようといまいとそれは脅迫的な要素が含まれているということになるわけです。

そういう場合には、大抵が少し頑張ることを緩めようかなと思っても、自分で自分をコントロールすることができなくなっているはずです。

こうなると、その頑張りによる自己犠牲がいずれはあだとなり、なんらかの形のつけとなって人生を悪化させてしまうことになります。

自分が頑張り屋さんだという自覚がある人、あるいは自覚がなくてもそういったことを人から言われた経験がある人は、自分のそうした行動を一度は疑ってみることをお勧めします。

そして、もしも自分は頑張ることで精神的にも肉体的にも消耗してしまっているという感じがあるのでしたら、人生を立ち止まってしっかり心の癒しをすることです。