私たちは、普段何気なく様々なイメージを使って生きています。イメージというのは想像するということですから事実ではないのは明白です。
しかし、何度も繰り返して同じイメージを作り続けると、自分の中でもそれがただの想像上のことなのか、事実なのかの判別がつかなくなって、次第に事実だと思うようになるのです。
自分がどれだけイメージを使っているのか、それをずっと探求していると、驚くべき結果が出てしまいます。ほんの些細なことまで含めると、一分一秒ごとにイメージを続けているとも言えます。
そうなると、事実だけを正確に見ているつもりでいたものが、本当はそうではなくてとても多くの部分に至るまで捏造していたのだということに気づきます。
そして、残念なことにそのイメージの基データはと言えば、すべてが過去からやってくるものなのです。これは当然のことですね。
我々は自分の中に蓄積しているものを使ってしかイメージすることはできないのですから。こうやって、過去からの情報を基にしてイメージしまくっているということこそ、過去に生きているということを物語っているのです。
例えば、目を閉じて静かにしているときには、今自分の身体はこのようになっているというのを継続的にイメージし続けているということに気づきます。
そうやって、視覚を使えない状態においても自分は身体なのだというイメージを失くさないようにしているということです。
もしもそのイメージを一旦脇に置いて、自分とは何だろうと見ると、少なくとも身体ではないということがはっきりしてきます。
湧き上がってくる夥しいイメージを止めようとする必要はありません。それを無理強いしてもよい結果を得ることは難しいからです。
それよりも、ただそうしたイメージに気づいているだけでいいのです。気づいていさえすれば、それを利用するかどうかという選択肢があることにも気づけるからです。
まずは気づくことです。あらゆるイメージを暴いて下さい。そのためには、できるだけ今この瞬間に注意を向けていることが必要です。