到達すべき場所はない

私たちは幼い頃から、少しでも改善できる余地があるなら、それをそのままにしておくのではなくて、なるべくより好ましいものにするべきだと教え込まれてきました。

改善するべき対象は、勿論自分自身の場合もあるでしょうし、人との関係や社会などの場合など多岐に渡ります。

そして、もしも現状のまま何も変化がないと、それこそ怠けているとか向上心が足りないなどと言われて、否定されてしまうかもしれません。

そうしたことが、日常的にありとあらゆることに向けられているため、それが当たり前になってしまっていることにすら気づかずにいるのです。

ほんの少しでもいいから変化させて、昨日と同じままでは駄目だというわけです。進歩がなければ、生きている意味すらないと言われかねません。

昨日よりもピアノが上達したとか、算数の苦手な問題を解けるようになったとか、後で考えてくだらないと思うようなことに怒りを感じなくなったなど…。

変化、進歩、改善というものをいつも求められているし、それが実現したときにはある程度の満足感を得ることもできます。

しかし、一旦冷静になってこのことについて突き詰めて考えてみると、なぜ常に進化し続けなければならないのかという疑問がでてきます。

私たちは一体どこへ行こうと必死になっているのでしょうか?歴史上の賢者たちの誰もが、どこにも行く場所などないということを伝えてきたのです。

何を躍起になって、変えようと努力し続けているのでしょうか?到達すべき場所など、どこにもありはしないということに気づくべきです。

心を静かにして自己探求すれば、実は自分が到達しようとしていたところとは、自分が探し求めているものとは、この自分自身だったと気づくことになるのです。

私たちは新たに何かを手に入れることはできません。なぜなら、今この瞬間の自分はすべてを含んでいるからです。

同様にして、私たちは何かを失うということも不可能です。何かが起きて、消えていくための舞台こそが本当の自分なのですから。