自分を騙す代償は大きい

開き直って言うわけではないのですが、人は嘘をつくものですね。それが、他人に対してであろうと、自分自身に対してであろうと…。

あ、嘘という字は、口へんに虚しいと書くのですね、今気づきました。なるほど、嘘をついていると確かに心が虚しくなってきます。

それも、二度や三度ではなくて、最初の嘘を取り繕うために次々と嘘をつく必要が出てきて、雪だるま式に嘘が増えていくと、いつか耐え難いほどの虚しさを感じるのです。

人に対する嘘の「ツケ」の主なものは孤独です。なぜなら、周囲の人に本当の自分を見せることがないのですから、本人の心は間違いなく孤立していくことになるはずです。

それに対して、自分自身に対してつく嘘というのは、もっともっと問題は深刻になってしまいます。なぜなら、それは自分を生きることができなくなってしまうからです。

つまり、嘘をついている自覚がなくなってしまうために、一体自分は誰なんだろうと思う瞬間が必ずやってくることになるのです。

そのときに、どこにもこれが自分なのだというものを発見することができずに、心は路頭に迷うことになってしまいます。

以前コラムか何かに書いたことがあるのですが、極端な表現をすれば、「人を騙してもいいけれど自分を騙してはいけない」というのがあります。

自分に対して嘘をつく、自分自身を騙すことを幼いときから続けてきてしまうと、本当の自分が育つことができなくなってしまうのです。

自分に騙されている表面上の自分は、案外元気なはずです。なぜなら、都合の悪い自分のことを知らずに生活することができるのですから。

しかし、その元気な自分はとても脆いのです。自分の芯となるものと結びついていないのですから。両者は、嘘によって離れ離れになってしまっているのです。だからこそ、ひどい虚しさを伴うことになるのです。

いつかは、本当の自分、まだ育っていない自分に気づき、そこから自分に対して真正直な人生を生きる決意をすることが必要なのです。