恐怖を大きくしているのは自分自身

小学生の低学年くらいの頃、大抵クラスに一人や二人は注射となると、泣いて騒いで大暴れする奴がいました。今でもよく覚えています。

誰だってか細い腕に針を刺されるのですから、怖いには違いありません。それでも、みんなも同じなんだからきっと大丈夫なのだろうと自分をなだめて何とか無事に済ますわけです。

それなのに、そういう泣き叫ぶ子がいて、子供心に苦しそうで可哀想だなと思っていたのを覚えています。その怖がり方が半端じゃないので、からかう気持ちにもならないというか…。

今思い返しても何であれほどまでに怖がらなくてはならないのか、本当のところは分からないわけですね。それでも確実に言えることは、彼らにとっては死ぬほど怖かったのだということです。

だれだって、人知れず苦手なものがあったりするわけで、他人にはその恐怖感がどれだけすさまじいものなのか、本当のところは分かってはもらえないのです。

しかし、実際には腕に針が刺さる痛みというのは、それほどのものではありません。本当のことを言えば大したことはないので、ほとんどの子供は泣いたりしないで済むのです。

泣き叫ぶ彼らの心境というのは、額面どおりの注射の痛みを恐れているのではなくて、彼らが独自に作り上げた架空の痛みを恐れているわけです。

空想の痛みですから、どれほどにでも痛みを大きくすることができるわけで、そうなったら際限がないので彼らは死ぬほどの恐怖を感じてしまうということです。

同じようなことを、私たちの誰もが自覚せずにやっているかもしれません。痛みから逃れようとしてそれと闘えば闘うほど、恐怖は大きくなることをどこかで知っています。

そして、幸運(?)にももう抵抗することは無理だと知って観念したときに、予想していた痛みとは桁違いに実際の痛みが小さなものだったと理解するのです。

痛みを拒絶しようとする気持ちそのものが、恐怖を大きくする要因なのだということをしっかり理解することが必要ですね。

もしも勇気を持って、痛みをあるがままに見ようとする気持ちになれたなら、もう痛みは恐れる相手ではなくなってしまうということです。

このことは、いつでも試すことができますので、日頃あなたが怖いと思い込んでいることに対して実践してみることを強くお勧めします。コツは「何とかしよう」をやめることです。