「今」とは時間のことではない

「今」という言葉の意味を把握することはとても難しいことです。なぜなら、私たちは大抵「今」というのは時間にまつわる概念だと思い込んでいるからです。

時間というのは、過去から刻々と進み続けながら現在(今)を通り越して、そして未来へと無限に続くものだという観念を誰もが持っています。

そのために、過去と未来のちょうど中間点として「今」というものがあるのだと錯覚してしまうのですが、実は「今」とは時間そのものとの関連はありません。

この世界は、様々なことが起きる現象界であると考えることができますが、そうしたあらゆる現象が起きては消えていく土台こそが「今」なのです。

どんな事象であろうと、「今」という土台から逸脱したところでは現象化することは不可能です。その一方で、すべての事象が時間の中で起きるということも忘れてはなりません。

つまり、事象とは時間という要素を必要としながらも、それが起きては去っていく舞台、その土台としては「今」がなくてはならないということです。

これで明確になったと思いますが、「今」とはこの現象界のバックボーンなのです。森羅万象が起きては消えていく無限に大きな入れ物のようなものです。

その入れ物自体の中味は勿論空っぽでなければなりません。何かが元々入っていたら、この現象界の邪魔をしてしまうからです。

この入れ物の空っぽさこそが、仏教で言うところの空(くう)であり、禅でいうところの無ということになるのはないでしょうか。

つまり、「今」とは空(くう)や無と全く同じことを違う言葉で言い表したに過ぎなかったのです。そして、その「今」とは何を隠そう本当の真実の私たちの姿そのものなのですね。

自分のことを肯定することが難しいと感じて苦しんでらっしゃる方々にこの感覚と出会って欲しいのです。あなたが否定し続けているあなたは、本当のあなたではありません。

大海原の上に一瞬発生した小さな波の一つを自分と同一視して、他の波と比べて自分は卑小で取るに足らない存在だと悲観しているのです。

でも、他の波や自分という波そのものを見る代わりに、もっと奥にある大海原に気が付けば、それこそが本当の自分の姿だという直接体験ができます。

あなたの本質は、あれでもこれでもない、誰でもない、この宇宙を創造し続けている「今」なのだということです。