ペンを止めてみる

子供の頃から文房具に対して、何とも言えない憧れのようなものを持っていました。今はあまり見なくなった文房具屋さんに行くと、ワクワクさせられるようなものが店中の棚に陳列されているのを見て、ちょっと興奮したものです。

実はその傾向は今でも若干残っていて、ノートやペンなどが沢山おいてある店舗に行くと、使い道などないクセに欲しくなってしまいます。

その中でも特別なのは、万年筆やボールペンなどの筆記用具ですね。様々な色のインクやら、太字用や細字用など、これでもかと言うぐらいの種類があります。

今日お話ししたかったのは、筆記用具についてではないのですが、ある細字用のペンがあると想像してみてください。

あなたは今そのペンを使って、半紙のような白くてすぐにインクを吸い込んでしまう紙の上に、そのペンで線を引いています。

自分自身がそのペン先の「点」になったつもりで、自由にすばらしい線や、図形を描いてみて下さい。時には、文字を書いたり、気に入った何かの形を描いたりします。

そしてこのようにイメージすることもできます。自分はペン先の点であり、点が動いた軌跡が人生というストーリーを表わしているのだと。

自分が「点」だからこそ、自分が動くことによってすばらしいものを描くことができる、それが人生の成果というものです。

もしも、その点を動かさずにじっとしていると、インクが滲んできて、みるみるうちに大きなインクの円ができてしまうことを知っています。

そうなると、せっかく描いた大切な成果物が台無しになってしまうので、一秒たりとも静止していることはできなくなってしまいます。

つまり、絶えず何かを描きつつ動き回っていなければならないということです。しかし、一度勇気を持って立ち止まり、そこで本当に自分に何が起こるのか見て欲しいのです。

実は、静止した直後から滲み出てくるインクによって広がる、その円こそが本当の本当の自己の本質なのです。このことは、少しでも静止することができた人でないと分かりません。

必死になって、ひっきりなしに何かを描き続けないと自分がいなくなってしまう、自分の価値がなくなってしまうという恐れに突き動かされているために、広がっている自己に気づくことができないでいるのです。

何かをしなければとか、何かを探さねば、何とかしなければ、どこかの方角へ進まねばなど、こうしたことをすべてやめて、ただそこに立ち尽くすことです。

そのときにこそ、自分の本当の姿に出会うことができるのです。それは、全体であり、「今」であり、そして静寂そのものなのですね。