永久不滅を望む

自分が本当に本当に本当に望んでいるもの、心から求めているものとは一体なんだろうかと改めて見つめてみると、それがたった一つであるということが分かります。

それは当然のことながら、永久不滅のものであるということに気づくことができます。手に入ったと思ったら失ってしまうのでは満足することはできないからです。

だとすると、この世界の中にある、つまり自分の外側にあるようなものは、すべてが生まれては消えていくものばかりであるため、そこには本当に望むものはないということになります。

この地球だろうと太陽系であろうと、いずれは消滅することがはっきりしています。自分が知っているどんなものであろうと、間違いなく消えていくものばかりです。

ということは、本当に望むものは自分の内側にこそあるということになりますね。それは理性で認識できるものではなさそうですが…。

それならば、極端な環境の変化をイメージしてみて、それでも望むものを見い出すことができるのかどうかを検証して見る必要がありそうです。

例えば、何か途方もない罪を背負って、最果ての地の監獄に終身刑で入れられている身だとします。もう、決して親しい人や愛しい人と会うことはできないわけです。

自分の寿命が尽きるまでは、その境遇で日々を過ごさねばなりません。しかし、外側には本当に望むものを見い出すことができないのならば、そのような状態においても今と条件は同じだということになります。

そしてもし、そんな過酷な状態では望むものは見い出せないし、今自分がいる環境や境遇を手放したくないと思うなら、まだ本当には永久不滅のものだけを求めているわけではないということになりますね。

そんな極端なことをストイックに考えなくてもいいだろうと思われるかもしれませんが、自己探求するときに自分がどれだけストーリーの中で手に入れられるものにまだ執着があるかを見極めることは大切なことです。

私が今言えることは、勿論監獄の中で暮らしたいとは思わないものの、そこの生活においても充分に永久不滅のものに気づくことは可能だという気がします。

そう考えて見ると、私たちが普段人の人生とは不平等だなと感じているにも係わらず、最も本質的で大切なものに気づくためには、どんな人のどんな人生であろうとも全く平等にそのチャンスを与えられているのだということです。

自分の人生を人の人生と比較する必要もないし、自分の人生がもう少しよくなったらとか、今はまだそのときではないなどといった言い訳をすることもできなくなりますね。

今この瞬間に、世界中の誰であっても、その永久不滅のものを見い出すことができるはずだと思うのです。