いつ頃だったか、「もったいない」という言葉が脚光を浴びた時がありました。元首相の小泉さんが言ったので話題になったのかもしれませんが…。
確か、物を大切にする日本人の心を表現しようとして使った言葉だったように記憶しています。使い捨て時代に一石を投じた言葉だったのですね。
この「もったいない」という言葉には、まだ充分使えるのに(まだ食べられるのに)捨てるなんて、「もったいない」という以外に、もう一つ別の意味で使われることがあります。
それは、せっかくここまでやってきたのに、途中でやめてしまうなんて「もったいない」と言う時の使い方です。
例えば、ピアノを習っている子供が、どうしたわけか急にいやになって、習いに行くのをやめたいと言い出した場合に、それを何とか引きとめようとして先生や親が「もったいない」と言ったりします。
もう少し頑張って続ければ、随分と上手になるはずなのに、ここまで一生懸命真面目に通ったのに「もったいない」というわけです。
チベットかどこかの寺院で実際に行われていることですが、修行僧たちが砂で精密な何かの建物の模型を創るのですが、それはもう大変な労力と手間をかけてすばらしいものを創るのです。
ところが、出来上がりかけた時に、師がやってきて無造作にあっという間に崩してしまうのです。見ているこちらがびっくりして、何てもったいないことをと思わず叫んでしまいそうになります。
しかし、それは修行僧たちの心にある、「もったいない」を手放す修行の一部なのです。つまり、「もったいない」とは執着心の一つだということなのです。
そして、何かをやり遂げるとか、為しえた成果などに執着するなということの教えなのだと思うのです。これはとても大切なことです。
どれだけ我慢をしてきたか、どんなに頑張って努力を積み重ねてきたのか、そうしたことに拘ることなく、やめたいと思ったときには潔くやめることです。
結果を求めることをやめれば、これはそれほど難しいことではないと分かります。どんなことでも、途中できっぱりと見切りをつけるということです。
何年も緻密な計画を練って、身体を鍛えてエベレスト登山に挑戦したあるプロの登山家のことを思い出します。
彼は、後もう少しで頂上だという時に、天候の急変によって頂上まで行ったら帰って来れなくなると知り、頂上をすぐ目の前にして引き返したのです。これがプロの登山家なのですね。
いつ何時でも、途中でやめることができるのであれば、それは心の中に執着がない状態であるということが言えます。あなたは今続けていることを、いつでも途中でやめることができますか?
あともう少し、もうあとわずかだから、そこまでやってからやめたいと思うのではないですか?あるいは、ここでやめたら一生後悔が残ると感じてやめられないことはないですか?
この執着こそが、輪廻転生の原動力になるとも考えられるのです。無執着になるのは、なかなか難しいことだと思いがちですね。
でも、今この瞬間にやめると決意することです。もう少し様子をみてからとか、もっと結果を残してからとか、いいわけをせずに今やめるのです。
それが本当に自由になるための秘訣です。