私たちは幼い頃から、何らかの目標を設定して、それに向かって努力をして、それを達成することに価値があるという教育をずっと受けてきました。
それは些細なことからとても大きな目標に至るまで、どんなことにでも当てはめてしまう習慣がついてしまっているようです。
例えば、勉強せずにたまたま100点を取ってしまうよりも、勉強した成果として100点を取る方がいいというようなところがありますね。
小さな目標でもそれなりの努力が必要であり、もっと大きな目標にはもっと多くの努力とそれに見合うだけの時間が必要だという思い込みです。
クルマを購入するためには、これだけ働く必要があって、家を購入するためにはその何倍も頑張る必要があると信じています。
こうしたことは、もう信念のようになってしまっているため、その逆に楽をして欲しいものを手に入れたいという願望を生み出す結果にもなります。
そうして一攫千金を狙って宝くじを買って、はずれたときにやっぱり人生はうまいこといかないもんだなあと諦めたりするわけです。
しかし、よく考えて見ると本当に大切なものほど努力なしに手に入れた経験をしているはずです。例えば、生涯の友やパートナーとの出会いはきっと偶然が引き会わせたと知っています。
あるいは、とても大切なことに何の努力もなしに、あるとき突然気づいてしまうということだってあるわけです。
偶然手に入るという幸運も間違いなくありますし、そしてもっと明確に気づくべきことは、実は本当に大切なことほど難なく手に入るものだということです。
ただし、それには決心することを見逃してはなりません。私が、「何とかしなければ…」をやめて下さいというときに、必ず「今この瞬間に」と付け加えて言うのは努力して欲しくないからです。
一ヶ月かけて、あるいは半年かけて「何とかしなければ…」をやめられるようにしたいと考えた瞬間に、それは努力を要することだとの思い込みを使っているのです。
それは、何とかして、何とかしなければをやめようとするといった、笑い話のようなことになってしまっているのです。
必要なことは、たった一つの、たった一度の決心をすることです。だからこそ、それは今この瞬間にできることなのです。
私たちは、努力して眠りに入ることができないことはよく知っています。何とかして眠ろうという努力をすべてやめることができた時にこそ、寝入ることができるわけです。
それと全く同じことが本当の自己を知ることにも言えるのです。あらゆる「何とかしなければ…」をやめたときに、私たちがもっとも欲しがっていた本当の自由と出会うことができるのです。
もっとも手に入れるのが難しいと思っていたことは、何と全く心の中で何もしないということによってのみ、手に入れることができるということです。
真実というのは、どうもこうした逆説的なことがいつもつきまとうものなのですね。