私たちは誰もが自分の本心を何でも話しているわけではありません。この程度であれば問題ないだろうという線引きをして、その範囲内のものについて言うだけです。
それを越えたものについては、口を閉ざして決して言おうとはしないものです。それには、さまざまな理由があるのですが、根っこの部分には自分を守りたいという欲望があるだけです。
相手にとって都合の悪いこと、気分を害するようなこと、そして相手が自分のことを否定的に見るだろうことを黙っているということです。
親に嫌われたら生きていけないと信じている幼い子供にとっては、このことは死活問題であるため、あまりにも危険だと感じる生活が続くと子供は心を閉ざしてしまいます。
そして、決して親に自分の本音を伝えることをしなくなってしまうのです。そしてそのままではあまりにも辛すぎるために、自分に対しても本音を隠すという作戦を使うようになるのです。
こうなってしまうと、もう誰も本人の本当の気持ち、本当の感情、訴えたい思いなどを知ることができなくなってしまいます。
しかし、この状態はそのままで済むはずもなく、いつかは何らかの形をもって表面化することになります。それは感情の爆発であったり、社会性への敵意となって現れたりもするかもしれません。
それでもそうした傾向は一過性のもので、またしばらくすると心を閉ざした状態に戻ることになり、そんなことを繰り返すことになっていきます。
そして、もっともやっかいなことは、当初は自己防衛のためにのみ心を閉ざしたはずが、いずれはそれを復讐として用いることになるということです。
つまり、親などの相手に対して、決して自分の本心を見せてはやらない、見せてなるものかという仕返しの気持ちが芽生えるということです。
もしも、心の中に何らかの復讐心がありそうだと感じるなら、自分は幸せになりたいのか、それともいつ終わるともしれない復讐に人生を費やすのか、どちらを選択するかを明確にするべきです。
曖昧にしていると、どちらも達成したいという不可能な夢を追いかけ続けることになるからです。幸せを願うなら、勇気を出して心を開くことです。