この世界に生まれた私たちにとって、誰にとっても平等で、そして逃れることのできないことは、自分の人生を生きてそして死んでいくということですね。
あなたの人生がどんなものであろうとも、人が羨むようなすばらしいものでも、あるいは過酷なものであったとしても、命が尽きるまでは生をまっとうするしかありません。
誰かの人生の方が楽そうだからといって、他人の人生を生きることなどできません。しかし、人生というものの見方を変えることはできるのです。
それは人生そのものを変えるという不可能に挑戦することではなく、その人生の主人公として生きるのか、それとも人生とその主人公を観照する立場として在るのかということです。
一般的に私たちは、自分のことを人生の主人公として感じています。それは人生というストーリーの一登場人物としての自分を演じているとも言えるのです。
人物というのは現在を生きているように見えて、実は人生という長いストーリーの過去をごっそり引きずって自分を保っているような存在なのです。
だからこそ、そのストーリーの中にどっぷりと浸かってしまっている状態であり、それ以外のことはあり得ないと思ってしまっているのです。
しかし、そのストーリーの中で活躍する人物としての自分を観照する立場であることを意識することができると、その意識は今この瞬間にだけ在るということが分かってきます。
過去や未来の人物としての自分を見つめるのではなくて、今この瞬間の自分だけに意識を向け続けるということです。
それができるようになると、次第に自分というのが人物などではなく、ただ意識として在るということに明確に気づくことができるようになります。
そして、ストーリーに流されて、それに翻弄されて頑張っている登場人物としての自分のことを、愛を持って抱きしめることができるようになるのです。
人物としての自分は相変わらずかもしれませんが、それでも構わないということが分かってきます。この観照する意識というのは、一切のコントロールがありません。
ただただ観照するということであり、それは同時に自分という本質の存在の全体性にも気づいていくことになるはずです。
まずはシンプルに、今の自分を内側から観る、観続けるというクセをつけることから始めようとする意欲がありますか?