ガンガジの本に次のような記述があります。
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もう一つの自己探求の手段として、自分にこう尋ねてごらんなさい。
悟りは私に何を与えてくれるだろうか?
あなたがどれだけ正直になる気があるかによって、
こうした自己問答から得られる答えには無限の可能性があります。
正しい答えなどありません。正直になる、それがすべてです。
ちょっとの間、真剣に考えてみてください。
もしも悟りがあなたに何ひとつ、与えてくれなかったとしたら?
物理的にも、理性的にも、感情的にも、
そして状況的にも何ひとつ得られるものがなかったら?
実のところ、悟りはあなたにどんなものも与えてはくれません。
その真実を受け入れる意思があなたにはありますか?
それがあるならば、あなたは自由です。
その意思があなたになければ、あなたの心は、
願わくばあなたに自由を与えてくれる何ものか、に縛られたままでしょう。
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昨年、自分とは誰でもない全体性だと感じてから、本当の自分の姿を可能な限り信頼できるようにと、自分なりの練習をしてきました。
そして、この文章に出会ったときに、足元をすくわれたような感じがしました。「確かに、実のところ、悟りはあなたにどんなものも与えてはくれません。」
ああ、そうだよなあと。一体自分は何を期待していたのだろうか。その期待している自己がいる限りは、本当の気づきはやってこないと分かっていたのに。
一周して、以前よりも淡々とした気持ちで、自己を観照する練習を続けていけそうな気がします。