同性か異性かに関わらず、友人関係の場合には、頻繁に会ったりあるいは会わなくなったりといった変化があってもそれほど不思議なことではありません。
というよりも、互いのブームみたいなもので、しょっちゅう一緒にいる時期というものがあったりするわけです。
従って、なぜかブームが去って会わなくなっても、特別二人の仲が悪くなったというわけでもありませんね。
けれども、これが付き合っている二人となると、そう簡単には済まされなくなるのです。それは、付き合っているか別れたかの二者択一になるからです。
付き合っている状態であれば、当然二人は頻繁に会うだろうし、会わなくなるということは別れたということを意味するからです。
なぜそうなるかというと、付き合うということの中に一つのルールが暗黙のうちに内在しているのです。二人は付き合っているという契約のさなかにあるのです。
特に大人のお付き合いともなれば、性的な関係というものが入り込んでくるのが普通ですので、そうなるとどうしてもそこには何らかの制限というものが必要となるわけです。
つまり排他的な人間関係というものが、そこには必要になってくるのです。よほど、ぶっ飛んだ考えの持ち主でもない限りは、ここまでは了承していただけるはずです。
しかし、そのルールをあまりにも重視し過ぎると、互いの関係のなかに重苦しさというものが入り込んできてしまうのです。
その重苦しさとは、そのルールを守るための我慢だったり、責任感のようなものからやってくるのです。違反すれば、それなりの罪悪感が待っています。
確かに、相手を思いやる程度のルールは必要なのでしょうけれど、二人の関係を壊さないようにするため、あるいは罪悪感から逃れるために過度の責任を背負い込むと、返って望ましくない結果になってしまうかもしれません。
結局、ルールとはそれを守ることで罪悪感から逃れることができるためのものであるということができます。
罪悪感を恐れなければ、適度のレベルでルールを守るというスタンスを取れるはずなのです。それが、二人の関係をうまく続けるコツかもしれません。
関係がうまくいってもいかなくても、そこには必ず大きな気づきのチャンスがあります。一人でいるときよりも、何倍もの気づきを、お付き合いした人からもらえるのですから、ありがたいことですね。