「本当はねえ、自分ていないんですよ~」と言うと、ほとんどの人がびっくりすると同時に、信用してはもらえないし、馬鹿にされるのがオチですね。
それはそうだと思います。この言い方では、随分と言葉が足りないんですね。もう少し丁寧に表現すれば、これが自分だと思っているような自分はいないということです。
これでもやっぱり、信じてはもらえないばかりか、拒絶されてしまうかもしれません。それは尤もなことで、人は自分が消滅することが一番怖いのですから。
自分がいないというのは、到底耐えられないことなわけです。だから、こうした話題というのはそもそもご法度なんですね。
でも、怖いのを一時脇へ置いておいて、冷静に考えてみるとそれほど理不尽なことでもないという気もしてくるものです。
それというのも、本質的なというか、本当の自分はいないと言われているわけではないからです。あなたという本質は消えることはできないということでもあるのですから。
あなたが単に、これが自分だと信じているだけなのだと言っても、いいや信じているのではなくて、れっきとした事実だと言い張るのが普通です。
けれども、真実は他にあると囁かれて、それを完全に無視したり、バカバカしいことだと決め付けるのは勿体無い話しだと思うのですが、いかがでしょうか?
ここで、人が二手に分かれてしまうように感じています。真実を知りたいという人と、そんなことよりも明日の幸せを手に入れることが大切だという人に。
しかし、真実を知りたいと願っている人だって、自分の幸せはどうでもいいなどと思っているわけではありません。
それどころか、真実を知ることによって、どうもがいても手に入れることができなかった真の幸福を得られるかもしれないという期待があるはずです。
話しが逸れてしまいましたが、とにかく本当の自己というものが消えてなくなるということはないということを前提にすれば、恐怖は減るはずです。
そして、これが自分だと信じ込んでいるとするなら、どのようにそうなったのかを見つめ返してみることが必要だと分かります。
それには、実はそれほど時間がかからないのです。それは、少しやってみれば感覚として分かるときが誰にでも来ます。
これが自分だと思っている自分を、とにかく疑ってかかってみることです。私は疑うのが大好きです。エゴはエゴによって、それ自身を暴くきっかけを作ることができるんです。