それほど多くはないのですが、クライアントさんの中には、ご自身の生まれてきた目的を知りたいと思って、セッションに来られる方もいらっしゃるのです。
今回の人生の目的、あるいは今回自分は何を目指してこの世界にやってきたのか、何をするべきなのか、そういったことを是非とも知りたいということです。
こうした疑問というものは、確かに誰でも多かれ少なかれ持っているものだと思います。けれども、現状に強い不満がなければ、あまり真剣に考えたりすることもないはずです。
つまり、明確な自覚があろうとなかろうと、とにかく満たされていないという感覚や、生きるのが不自由だったり、大きな苦しみを抱えているからこそ、そうした疑問を持つことになるのです。
屈託なく、自由奔放に生きて、毎日を楽しんでいるような人が、真剣に人生の目的について考え続けるということはないのでしょうね。
私は、苦しみの中からこそ、大切な気づきというものがやってくると思っています。特に、人生に絶望することは、とても重要な経験だと思うのです。
そして、それ以上に大切なことは、この人生に何らかの期待をしている限り、決して心から満たされるということはやってこないということに気づくことです。
自分が生まれてきた目的、この人生で自分は一体何をするためにやってきたのかということを考える代わりに、この人生とは何だろうとということを考えるべきです。
人生とは価値ある自分を作り上げるためにあるのではなく、自分とは何かということに気づくためにあるということです。
人生に我々が期待しているような目的など、初めからありません。この世界の何かに価値があるのではなくて、この世界が現象として起きる源にこそ価値があると考えられます。
自分は何のために生まれてきたのかと質問するのではなく、自分とは何か?という質問をすることです。
その質問には答える必要もなくて、ただその質問をしている自己を見続けることです。そうすると、不思議なことが起こります。それは、一切の質問がなくなるのです。
この人生の目的や、生まれてきた理由などのような、どんな本質的な質問でさえ、消えうせてしまうことに気づくはずです。
なぜなら、質問をしている私(エゴ)を見続けていれば、その存在の危うさに気づき、そのうちには「私」が消えてしまうからです。