目を開いたまま「何もなさ」に気づく

目を閉じると、なにも見えなくなります。それこそ真っ暗闇の中に、放り出されたような感じがするかもしれません。

けれども、何も見えないというのは「無」を見ているということでもあるのです。もちろん、それは肉体の目で見ているというわけではありません。

「無」それ自体と共にあるということ。「無」そのものであることをただ感じているのです。個人としての自分は、知覚を遮断されるとそれだけで不安になるのです。

その不安が、暗闇のようにただ感じさせるのです。知覚からの情報が途絶えると、思考は活力を失うのです。思考が止まれば、個人としての自分はいなくなってしまいます。

ですから、暗闇はとても危険であるという判断がなされるわけです。真実は、暗闇なのではなくて、「何もなさ」の体験なのです。

洞察力とは、有名な絵画である「モナリザの微笑み」を見て、その背後にある真っ白なキャンバスを見抜く力です。

誰もがモナリザの口元の怪しい微笑みに魅了されてしまいます。それもすばらしいことですが、それと同時にモナリザがそこにあるための土台である真っ白なキャンバスを見通すのです。

それよりも、もっともっとずっと簡単なことですが、目を開いたときに、目を閉じたときのあの何もなさを知覚と同時に忘れずにいればいいのです。

そうしたら、時空と物質で埋め尽くされているこの世界を知覚しつつも、同時に何もなさをいつも見ていることができるのです。その何もなさこそが、本当の自己なのです。