そっと目を閉じて、心を静かにして思考では捉えることのできない「何もなさ」を感じてみてください。それはとてもすばらしい体験です。
そして、ゆっくりと目を開いたときに、目を閉じていたときの「何もなさ」がそのまま残っていることを感じ取ってみることです。
私たちは、本当は目を開けているときも目を閉じているときに見ている「何もなさ」を見続けているのです。そのことに気づくことです。
それは映画館で映画に熱中している間にも、実はスクリーンを凝視しているのだということに気づくことに似ています。
その「何もなさ」には思考も、その思考が必要とする時間や空間さえもありません。それなのに、この現象界で起きるあらゆることを含んでいます。
それはあらゆるジャンルのどんな映画でも、たった一つのスクリーンに投射され得ることと同じだと言えます。
「何もなさ」とは、この現象界で起きているすべての土台であり、源泉でもあるのです。時間や空間、そして物質や自分がここにいるという思考も全部がそこからやってくるのです。
思考では、ただ「何もなさ」と表現するしか手立てがないのですが、真実はそうではありません。森羅万象の源泉なのですから。
慣れてくれば、わざわざ目を閉じなくても、ごく普通に周りの現象を見つつ、「何もなさ」に注意を向け続けることもできます。
それが本当の意味での明け渡しであり、物語から開放されて自由になるということなのですね。