セラピーは気づきへのほんの入り口に過ぎない

いつか、それもそれほど遠くない将来に、もしかしたらセラピーをやめてしまうかもしれないという予感がします。

セラピストを生業としてやってきている立場で、こんなことを書くのは本当にどうかと思うのですが、何度も言うようにセラピー(心理療法)で人が本質的に変わることはないからです。

何の効果もないということでは決してないのですが、いたずらに最も大切なことに気づくチャンスを奪ってしまう可能性もあるのです。

癒しの初期の段階が、精神的自己防衛の中で始まるのは仕方のないことですし、それは悪いことでもありません。

自分のここが改善された、この困った症状が緩和されたといっては喜ぶのですが、それが次はもっとここをよくしたいという具合に、果てしなく続くのです。

なぜそうなるかといえば、それを続けることこそが自己防衛システムの目的だからです。そのことにどこかの時点で明確に気づかなければなりません。

一度体験した喜ばしい過去を思い出しては、それを次も繰り返そうとするのですが、それこそが物語のど真ん中を突き進むことになるのです。

そのことが問題なのではなくて、それだけで人生を終えてしまうのは勿体無いと感じるのです。生きている間に、自分の本質に気づくこと。

それに気づきつつ、同時に人生という物語を楽しむことこそが、奥行きのある毎日の過ごし方になるのではないかと思うのです。

セラピーは、そのほんの初期の入り口の役割しか果たすことはできません。お会いすることのできた多くのみなさんと、このことを分かち合いたいと思っています。