近すぎて理解不能なもの

子供の頃から、自分で自分のことをじ~っと見つめてみるという癖がありました。それをやっていると、必ず何とも言えない気恥ずかしさがやってくるのです。

隠していたつもりはないのですが、普段は見ずにいた自分自身との対面は、不思議なことに恥ずかしいという感覚なのです。

それはちょうど、いつもみんなでワイワイやっている仲間同士なのに、ふと二人きりになったときに互いに何を話せばいいのか分からなくなる、あの気恥ずかしさに似ています。

その恥ずかしさにたどり着くまで、じっと自分で自分を見続けるという変な癖があったのですが、最近その感覚がどうもなくなってしまったようなのです。

以前のようにして、いくら自分を見続けてもその感覚はもう戻ってこないのです。その代わりと言ってはなんですが、感覚の広がりに気づくようになったのです。

内側を深く見つめていくうちに、人物としての自分を通り越して、その奥に広がる本当の自己にその矢が刺さるとき、いきなり自己が拡大するのです。

それは、「自分とは一体なんなの?」という問いかけを徹底的にやり続けたときのあの感覚と同じなのです。

終点となるナニモノもないのですが、全体性へとシフトしてしまうのです。なんだ、そうだったのかと分かる瞬間ですね。

近すぎて理解不能なところ、それこそが真の自己の姿なのでしょうね。