コントロールを手放す

自我が発生すると、すぐにここには自分がいて、その自分は周りにいる親や大人たちに支配されているということを悟ることになります。

支配されるということは、相手の意のままにコントロールされるということです。そのコントロールが、自分が望むことと違えば違うほど苦しむことになるのです。

可能性はゼロに近いですが、もしもコントロールが自分の好み通りであったなら、わざわざ自分が努力してコントロール権を勝ち取ろうとする必要はありません。

実際には、自分の思ったとおりのコントロールなどというのは決してないのですから、子供はどうにかしてコントロールを勝ち取ろうと努力することになるのです。

自分がコントロールしたい、コントロールできるはず、コントロールできたらいいのに、そういう強烈な願望を持って毎日を生き延びようとするのです。

それがある程度成功することもあるでしょうし、その一方でそううまくことが運ぶわけではないということも知るようになるのです。

それでも成功事例があることで、それをもう一度実現しようとして奮闘努力するのですが、それが本人を苦しめる結果となるのです。

この、できるだけ多くのコントロールを握っていたいという願望は、大人になっても色濃く残ることになるのです。それは、力を抜いて起きたことに委ねるという生き方とは正反対なものです。

いきなり、「すべては神の思し召し」というところに行けないとしても、少なくともコントロールを手放す気などないということに気づくことです。まずはそれを受け止めることです。

コントロールこそが、これまであなたを支えてきたとされる自己防衛システムの中枢にあるからです。残念ながら、コントロールしようとすればするほどあなたは傷つくことになってしまいます。

したがって最も大切なことは、究極的には自分には一切のコントロール能力など初めからないのだということに気づくことです。それが明け渡すという無防備な心の状態へとあなたを連れて行ってくれるのです。