自己防衛を見極める

子供の頃に、辛いことがあって元気が無いようなときや、悲しみや寂しさなどで気持ちが落ち込んでいるときに、飼っている犬や猫が寄り添ってくれて救われたという経験がある人は意外に多いのです。

私自身はそうした経験がないのですが、この仕事を通してそんな体験談をこれまで数多く聞かせていただいてきました。

心が通じ合った動物というのは、人の気持ちに敏感なのですね。自然と身体を寄せてきたり、心配そうに覗き込むような動作をしてきたりするということです。

実はそうしたことは、動物ばかりではなくて、まだ自我が芽生えていないような幼子でも、似たようなことをしてくれたりするものです。

幼い子は大好きな親が笑顔でいて欲しいと無自覚にも望んでいるのです。たとえば、お母さんの心が晴れない状態であると察知すれば、何とか気持ちを和らげてあげたいと思うのでしょう。

それは、無邪気さからくる愛の行為に違いありません。だから、精神的に辛い親の元で育った子供は、親の心理状態がいつも気になってしまうのです。

けれども、自我が芽生えてしばらくするうちに、そうした行為は変わらないままに、心の中で恐怖という防衛システムが愛に取って代わってしまうのです。

そうなると、子供本人はそれまでと変わらずに親を心配して、たとえば親の愚痴を聞き続けたりするのですが、それはもう防衛と化してしまっているのです。

可愛そうな親を見ているのが辛いので、その辛さから逃れるために自己犠牲を強いてまで、愚痴を聞き続けるといったようなことになるのです。

その結果は、莫大な自己犠牲が巨大な怒りへと化けて心の中に蓄積することになってしまいます。本人は無自覚とはいえ、その怒りは現在身近にいる人へと向かうことになりがちです。

自分の言動を注意深く見て、それが真に相手のためなのか、それとも自己防衛によるものなのか、はっきりと見極めることが大切な第一歩となるのですね。