苦行なんていらない!

今から約2600年前に、お釈迦様は王子の身を捨てて一人こっそりと城を抜け出して、苦行の旅に出たのです。

その苦行は17年間にも及んだらしいのですが、結局真実を見出すことができずに、あきらめて菩提樹の下で10日間くらい瞑想したすえに、覚醒したということです。

彼は、あの難行苦行はまったく必要なかったと言ったらしいのですが、誰もその言葉をそのとおりには受け止めなかったのですね。

そうした苦行を経験したからこそ、短い瞑想の末に覚醒できたのだろうと思うわけですね。偉業をなすためには、それなりの努力が当然必要なのだという信念があるのです。

けれども、彼は本当の意味で苦行はいらないと言ったのです。なぜか、私たちの誰もが努力の末にこそ報われることがあると信じているのです。

だからなのかどうか知りませんが、私の周りにも見ようによっては苦行僧のように生きている人が何人もいらっしゃいます。

自分を痛めつけるのが好きというのか、そうやって自分の罪悪感を相殺できると思っているのか、本当のところはよくわかりません。

でもはっきりしていることは、どんな練習をしてもしなくても、獲得した金メダルは金メダルには違いないのです。

毎日を楽しみながら生きている人が、苦しみ抜いて何かを勝ち得た人の人生よりも価値が無いなどということはありません。

真実を探求するにしても、苦行が必要というのは間違った思い込みに過ぎません。実際、自分の本質を観るためには、何の努力もいりません。時間のかかる瞑想もいらないのです。

真実はいつだってもっとも身近なところにあり、手に入れるようなものでもないからです。私たち自身がすでにそれだからですね。