生と死を超えて

私たちにとって最も確実なこととは、それはいずれは死ぬということですね。これほどの確実なことは他にはありません。生まれた瞬間にそのことは、もう決められてしまうのです。

明日の朝がやってくるということも、ほとんど確実ですが、それでも完全には確実ではありません。場合によっては、地球が巨大な隕石とぶつかって、吹っ飛んでしまうかもしれないからです。

あるいは、朝が来る前に太陽が爆発するかもしれません。その確率は限りなくゼロに近いかもしれませんが、ゼロではないはずです。

けれども、あなたがいずれは死ぬということは、100%完全に確定していることです。少し前に始まったあなたの生は、単独でやってきたわけではなく、死を携えてきたのですから。

死は生とは切っても切れないものです。それはコインの表と裏のような関係です。そして、今生きている誰もが一度もその死を経験していないにもかかわらず、恐れているのです。

どんなものかも知らないのに、なぜこれほどまでに死を恐れるのでしょうか?それは実は、生を恐れているからです。生を恐れているために、十分に生を堪能することができずにいるのです。

生をエンジョイできないままに、死んでしまうということ、これこそが本当の恐れなのです。生を十分に満喫した人は、きっと死を恐れることがなくなるはずなのです。

本当は死とは恐れるものではありません。それは深い安らぎであり、究極のくつろぎなのですから。あるいは、この生で疲れ果てたあなたの魂が、次の生への準備として十分に精気を養う大切な間なのです。

深く瞑想すれば、それは死と同じ安らぎを感じることができるのです。夢を見ることのない深い睡眠も、死と何も変わるものではありません。

瞑想を習慣化することで、死を恐れることから少しずつ解放されるし、また死を恐れなくなればなるほど、深い瞑想へと誘われることにもなるはずです。

そうして、いずれはあなたの本質である純粋な意識、気づきそのものこそが、生と死を超えた永遠のものであるということを知ることになるのですね。