問題を問題視することこそが問題だ

日々のクライアントさんとのセッションで、私は最近特にほとんど何も気にせずに、大抵は言いたいことを言っていると思います。

クライアントさんの中には、10代、あるいは20代の人も沢山いらっしゃいます。もしも、20代の自分が今の自分のセッションを受けたらどう感じるのだろうかと、いつも思っています。

通常の癒しの内容でしたらまだしも、我々の本質についての話などは、もしもその頃の自分が聞いたとしたら、きっと面喰うことになったはずです。

このオジサンは一体まことしやかに何を言っているのだろうか?こんなことを聞きに来たのではないんだけれど、この話したがりのオジサンはどういう人なのだろう?

そんな風に感じるのかもしれません。でも、実際のクライアントさんは、私の言葉の内容を自分なりに理解しているようなのです。それがすごいなと思うのです。

私の言葉の一つひとつは、実際私というエゴの言葉ではないと感じているので、これは決して自慢でも何でもないのですが、20代の若者が真実への言葉を受け容れることができるのです。

それは本当に素晴らしいと思うのです。真実を言葉にしようとすれば、それはあらゆる矛盾を包含することになるし、とにかく怪しい雰囲気満載なわけです。

何か問題があれば、人はそれをどうやって解決していけばいいのだろうかと考えるわけです。それが通常の思考回路です。けれども、それがそもそも間違いなのです。

その問題をなぜ自分は問題視しているのだろうか、その根っこは一体なんだろうというところを観に行くのです。その問題に対しては、直接何もしないということです。

例えばもしもあなたが、寂しくて仕方ないとするなら、セラピストの私の口からは、そこから逃げないで下さいと言う言葉が発せられることになるのです。

その寂しさがどこからくるのかを見て、またその寂しさととことんただ一緒にいることです。寂しさを何とかして解決しようとすることこそが、問題を大きくして長引かせる原因なのです、と言うのでしょうね。

そんなことは、本当に長年にわたって知りませんでした。でも今なら分かるのです。セラピストの言葉を信じるのではなく、興味があればそれを実践して自分で真偽のほどを確かめればいいのです。

もっと沢山の人にセッションにいらして欲しいと思います。勿論その目的は、あなたの真の姿に目覚めることです。それ以外に人生には何の目的もないのですから。