何事も丁寧に行う

小学生の頃、先生や親にもっと字を丁寧に書きなさいと言われたことがありました。無意識に字を書いていると、知らず知らずのうちに乱暴に文字を書くクセがついてしまったのでしょうね。

字が下手というのではないのですが、どうもしっかりと丁寧に一文字ずつ書くというのが、まどろっこしいというのか、さっさと書いて終わりにしたいというのがあったのだと思います。

そんな雑な気持ちが起きないときには、不思議とゆっくりときちっとした文字を書くこともできたのですが、でも次に書くときには、そんなことは忘れてしまって、また走り書きのようにしてしまうのです。

大人になった今でも、そういうクセが完全に直ったわけではないようで、ホワイトボードに文字を書くときに汚くなってしまうことがよくあります。

思考が先走ってしまって、書くスピードがついていけないという感じなのかもしれません。けれども、実は今何事も丁寧にするということがとても大切なことなのだということを知り出したのです。

思考をなるべく起こさないようにして、意識を今この瞬間に向けていると、そのときの動作がゆっくりになるということを体験的に知ったのです。

そういう意識状態では、動作を素早くやるということができなくなるのです。というよりも、素早くやる必要もなくなってしまうというのが本当のところかもしれません。

意識的になると、行動がゆっくりになる、ということはもしかすると、行動をゆっくりにしてあげれば、自然と意識が今に向くのではないかと考えたわけです。

それで試したところ、それは確かにそうなるのです。ごく普通に歯ブラシするよりも、いつもよりゆっくりと、そしてより丁寧な気持ちで行うと、ごく自然と思考がなくなり、その動作の中へ入っていけるのです。

子供のころに言われた、「もっと丁寧にやりなさい」ということが、これほど重要なことを含んでいたとは思いもよりませんでした。

乱暴やガサツ、雑に行為するのは、この精妙な今という瞬間に「在る」ことができなくなるのです。その反対に、より丁寧にあらゆることを行為するとき、マインドは落ち着き、意識はこの静寂へと向いてくれるのです。

何事も丁寧に行うことができるなら、それ自体が瞑想になるということですね。